日々の出来事や感想を「たわごと」として言いっ放しで掲載。 古いものは「蔵出し三面記事」に移動もしくは多くはお蔵入り。 ライブの記事は「ライブのツボ」に移動して保存。

WRITE | ADMIN

ブログ内検索
アーカイブ


まず先に、

あなたの思いが音楽に受け入れてもらえなければ

音楽はあなたの思いをどこにも伝えてくれはしない・・・

思いがあるなら音楽に受け入れてもらえるまで音楽を知るべし。

音楽へ片思いのままでは、

音楽の力を借りることは出来ないのです。


どんな小っちゃなことでも出来る限り、いや意地になってでも一番を目指す。
時間の許す限り。どんなことをしてでも。
身体も頭も悪知恵も実力も全部使う。

楽しむってそういうこと。

「ほどほど」とかは、無駄でしかない。
経験することに無駄は無いとか言うが、それはまやかしに過ぎない。

また、参加することに意義があると言うが
参加する「気」があることに意義があると思うのです。


「やりたいことをやろう」といいながら
「やってたらいいであろう」ことしかやってない人に訊きたい。
「やらなければならないこと」は見つけたのか?

やらなければならないこと(使命)に出会えることこそ、
生きてる意味で
「やりたいことをやる」っていうことではなかろうか。



近年の若者はよく「勉強になった」と口にします。

で、先日とあるTV番組を見ていて、いい番組だったので俺も「勉強になるなぁ」と口にすると、すかさず「明日まで覚えてたらな。」と息子に突っ込まれました。

たしかに、覚えてなきゃ勉強になってないわな。


信念を持って正しいと信じていること。
その通り、全く間違ってないんやけど
頑なになりすぎて、やんわり周りを見渡すことができず、
知らぬ間に「井の中の蛙」のごとく視界が狭くなってたりするものです。

こういう時、迷うんですね。

間違ってないのに、それは正解でなく、
うまく行かなくなるわけです。(笑)

珍しく本を読んだり、
人の意見に耳を傾けてみたり、
けなさず、褒めてみたりして。

角度が変わると流れも変わり
視野だけでなく明るさも変わります。

がんばろうや。俺もがんばるし。


今日はとても貴重な一日。
癌と闘う東京プリンの牧やんとの飲み会でポテキで集合。
名目は「まっつん会」

まっつんは牧野にとってもみんなにとっても大切な相棒でベーシスト。
そんなこんなで昔のバンド仲間が大集合したよ。
写真の牧野の隣はボーカリストのひとり、いまや母ちゃんのオシオや。

みんなとは久しぶり。15年ぶり、20年ぶり、25年ぶり。
本人の了解を得てるから書くけど、牧野が癌になってなかったらこんな機会もなかったと思うと・・・。

なにより牧野が俺に話してくれた「こういう病気になってからこそ初めて出会った、俺よりもっとたいへんな病気と闘ってる人たちのために何が出来るか」って。

その通りやで。今までどおり祈るし、出来ることをやろう!
音楽も大切なひとつや。俺はそこでやってみるよ。

牧野に「お前の病気のこと使っていいのか?」って言ったら「どんどんやってくれていいよ」って彼は言う。

よっしゃ!

やるよ。俺は音楽で。
俺たちの知ってる音楽ってそんな位置にあったもんな。



有名でもなんでもないんだけど、数年前に見つけて以来気にいってる京都・八瀬(今日初めて土地の名前調べました)の大きな美しいイチョウに今年は夫婦で会いに行くことに。
今年は初めて地元の人ともこのイチョウの下で話をしました。2,3日前にやっと色がついたそうです。大きな木だから落葉の掃除が大変なんだって。


そのあと、有名な大原は素通りし滋賀方面に向けて走ると知らなかった絶景が随所に。

(残念ながら写真はいまいちだが)初めて走る道からの景色は気持ちいい発見の連続だったのです。


滋賀・坂本で有名らしい蕎麦をいただく。もちろん"ざる"。十割ではないがとてもいい感じのお店。蕎麦湯でいただく残りつゆも最高でした。

ほぼ何も決めずに周りを目をやりながら車を走らせる。ガイドブックなどには絶対載らないであろういいスポットいっぱい見つけました。来年も来よう。いや、来週も来たいくらい。これもライブの醍醐味ですね。

人生いろいろ、ライブもいろいろ。
いつまでもあると思うな「親」と「いい音」。

ぜひ、おいでください。


やりたいことをやってるだけじゃなく、やるべきことに出会えたら・・・。

それが、幸せではなかろうか。
それが、個性ではなかろうか。



彼女が出来たり別れたり、また出会いがあったり結婚したり、子供ができたり、そうでもなかったり・・・。
あのころは良かったなんて思い出に浸るひまなく毎日一生懸命生きていて、人はどんどん変わっていく。とまっちゃ面白くない。

人生はそうやってドラマチックに流れていく。
最高なことだと思うよ万歳!

そのドラマチックさに比べれば音楽なんてライブなんてほんの添え物に過ぎない。

が、人生において、音楽ほど素晴らしい添え物はない!

そう、ドラマチックな人たちが奏でる音楽がね。






ステージに上がる人たちと、そこに集まった人たち。そして、その場所。

それだけでなく、いろんな要素が組み合わり、作用しあって織り成され生まれてくる「風合い」。「風合い」って縦糸、横糸から生まれる織物の手触りや肌ざわりのこと。触った時感じる質感のこと。
その「風合い」こそが音楽でいう「ライブ」の素晴らしさであり醍醐味だと思うんです。

どこでどのタイミングでどんな人とその日を迎えることになり、その日を作ることになるかが「風合い」の違いを生むのです。つまりそれも技術であり魂であり磨かれるものであるということ。

人が集まってそこに生み出される「風合い」。

バンドマンにとって、優しく、心地よい理想の風合い(ライブ)を生み出すための、どこでどのタイミングでどんな人と・・・の「どんな人」が対バンと言う意味だけに限りなく近くなっているのではダメだと思うのです。
誰々と対バン、どこどこと対バン・・・だから楽しい!テンションあがる↑っていうのはあまりに短絡的だと思うのです。

どんな人に来てもらいたいのか。そしてどんな風にその日を作り、過ごしたいのか。

僕にとって「動員」とはそういう意味であり、ただ単に「人数」ではなく、ライブをやる上でライブハウスとバンドが一緒になっていつも考えないといけないと思うことなのです。

最高の「風合い」を生み出すために。

「楽しい」ってそういうことやないのか?



最近、いいライブを観てから2,3日後にもう一度振り返ってみるようにしています。だからライブに関してのブログも最近は素早く細かく書いたりしていません。そこから感じるスピードを緩めるためにね。

余韻。
それを持てるかどうかも感じる力のひとつですし、血の中に残せるかどうかが音楽だったりします。
「元気もらった」って言いながら「次の日にはすっかり消え去ってる」感じではありませんか?

展開が速すぎるんでしょうね。なにもかも。ティーンエイジャーですらその速いリズムに追いついてないしね。だいたい追いついてないことすら知る由もないしね。
(なんだか知らないけど湧き上がってくる)モヤモヤを刺激や勢いで吹っ飛ばそうとしても結局心は晴れてないんじゃないかなぁ?

速いというのも素晴らしいのですが、ゆっくりというのもそれ以上にいいものです。ただ「速い」ほうに刺激はありますから、意識してないとどんどん速いほうに引っ張られていきます。

余韻・・・今一度気にしてみてください。きっと今より心が晴れますよ。


相変わらず「ええライブを観てくれ!」と言う気持ちに何の変化もございません。
が、ただ、年々「よくない、よくない」言うてる今の時代の流れは安易な“ウケル”の深追いが生み出した毒素みたいなもんでしょうに。

とにかくどこをみても(全部じゃないけど)バンドのライブに客がいない。客のバンドマン比率高すぎ。「お前のとこのライブ行くから俺んとこのライブ来て」「行かんと気まずい」みたいな。。。俺は“動員互助会制度”と呼んでます。

バンドが月に何本もライブしてると呼ばれるお客さんのほうもちょっとヒクわなぁ、「え~また~?」って。よっぽど好きでなかったら。金もないしね。そして、また困ったことにそれをバンドマンも分ってるから「呼ぶ」という行為にちょっとした嫌悪感があって余計に動員に消極的になっていく。なんなのそれ?

そもそも“アマチュアの活動”をこれだけ一般の人が金を出して応援して成り立ってきたコミュニティーなんて他にあるんか?いまさらそんなことも思いました。
みんなそこに甘んじたらから、この“ザマ”なのかもしれないと思うわけです。

誰でも音楽できる今だからこそ、実は「普通の人」の耳や目は厳しくなっていきます。

だけどね、間に合うからまだ言うよ。
いいもんつくろう、いいもん観よう。
そして、一緒になってこの先を楽しくしよ。


湯川トーベンさんが僕に向かってハッキリ言ってくれたから、今まで書けなかった一言をあえてここに書きます。

『死んでからでは遅いんだよ!』

いいもん観よ。そして受けて投げ返してキャッチボールしよ。


バンドマンために音楽があるわけではない。
音楽のためにバンドマンがあるわけです。

そしてあなたがが奏でる音楽が大切なあの人のために存在出来れば最高だと思うのですが、どうでしょう?

今、音楽はあなたの何ですか?

あきかんはリサイクルのためにあるのではない。


いまのバンドマンの行く末。

いろんな選択が出来て細かく新しい枝もいっぱい伸びてくる。
しかし、枝は細いし、実がならない。花が咲かないから種も生まれない。
それは根っこから栄養が上がってこないから。

「ノウハウ」や「マニュアル」のせいで、今はずいぶん営業を意識するバンドマンが増えた。だからその分だけ「ものづくり」できる職人肌のやつがものすごく減っちゃった。その数、過去と正反対か?

もちろん、今もそうじゃない若いバンドマンがいることは知ってる。ちゃんといる。

ただ相対的にそんな流れなのだ。

で、問題なのはそのことで若いやつらが楽しそうな顔しながら苦しまなくてもいいところで苦しんでること。それが一番辛い。

先人から学ぶべきだ。姿を音を。
どうやって何もないところからこの日本にロックを浸透させていったのか。

それがあって今がある。

そのことを知れば今の不必要な苦しみなんか簡単に脱することができるのです。

今の僕の仕事はそのためにあるんじゃないかなって思っています。答えはそこに見えているのに導けないふがいなさを感じながら。

ジャンルの壁などとうの昔に崩れ落ちています。
ただ地層のように別れた時代の壁はまだ厚く厚く残っています。それを打ち砕かねば、エネルギーは湧き上がってきません。
今こそ、縦の穴をぶち抜かねば。そこから養分を吸い上げるのです。
そして、茎を太くし、枝を強く張り、花を咲かせるのです。

未来は、そこから生まれてくると。


バランスが崩れているんよね、きっと。
心と体のバランス。
だからヘンな悩み方やからだの調子を崩したりする。日本全体ね。

たとえばバブル以降の音楽業界の仕事は、仕方が無いところもあるんだけど日銭に追われてきたように思います。日銭ばっかり追っかけてたばっかりにバランスを崩した。そう、バンドマンのみならずオーディエンスをも育ててこれなかったんだと。そして今、その現状に業界自身が振り回されているのかなぁって。

でもね、人の「カラダ」はそんなに変わってないと思うんです。いい音楽、いいグルーヴは、心臓の鼓動のようにきっと人の体に理屈ぬきで馴染むはずだと・・・。

生命としてね。


『ありがとうございます』

という言葉は、届きそうにないところにも心の中で言い続けるべきです。

苦悩を与えてくれたところにも。

悩みのない人に悟りはないそうです。悩んでないのに、苦しんでもないのに悟れるはずがないと。。。



アクセスカウンター