日々の出来事や感想を「たわごと」として言いっ放しで掲載。 古いものは「蔵出し三面記事」に移動もしくは多くはお蔵入り。 ライブの記事は「ライブのツボ」に移動して保存。

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やりたいことをやってるだけじゃなく、やるべきことに出会えたら・・・。

それが、幸せではなかろうか。
それが、個性ではなかろうか。



彼女が出来たり別れたり、また出会いがあったり結婚したり、子供ができたり、そうでもなかったり・・・。
あのころは良かったなんて思い出に浸るひまなく毎日一生懸命生きていて、人はどんどん変わっていく。とまっちゃ面白くない。

人生はそうやってドラマチックに流れていく。
最高なことだと思うよ万歳!

そのドラマチックさに比べれば音楽なんてライブなんてほんの添え物に過ぎない。

が、人生において、音楽ほど素晴らしい添え物はない!

そう、ドラマチックな人たちが奏でる音楽がね。






ステージに上がる人たちと、そこに集まった人たち。そして、その場所。

それだけでなく、いろんな要素が組み合わり、作用しあって織り成され生まれてくる「風合い」。「風合い」って縦糸、横糸から生まれる織物の手触りや肌ざわりのこと。触った時感じる質感のこと。
その「風合い」こそが音楽でいう「ライブ」の素晴らしさであり醍醐味だと思うんです。

どこでどのタイミングでどんな人とその日を迎えることになり、その日を作ることになるかが「風合い」の違いを生むのです。つまりそれも技術であり魂であり磨かれるものであるということ。

人が集まってそこに生み出される「風合い」。

バンドマンにとって、優しく、心地よい理想の風合い(ライブ)を生み出すための、どこでどのタイミングでどんな人と・・・の「どんな人」が対バンと言う意味だけに限りなく近くなっているのではダメだと思うのです。
誰々と対バン、どこどこと対バン・・・だから楽しい!テンションあがる↑っていうのはあまりに短絡的だと思うのです。

どんな人に来てもらいたいのか。そしてどんな風にその日を作り、過ごしたいのか。

僕にとって「動員」とはそういう意味であり、ただ単に「人数」ではなく、ライブをやる上でライブハウスとバンドが一緒になっていつも考えないといけないと思うことなのです。

最高の「風合い」を生み出すために。

「楽しい」ってそういうことやないのか?



最近、いいライブを観てから2,3日後にもう一度振り返ってみるようにしています。だからライブに関してのブログも最近は素早く細かく書いたりしていません。そこから感じるスピードを緩めるためにね。

余韻。
それを持てるかどうかも感じる力のひとつですし、血の中に残せるかどうかが音楽だったりします。
「元気もらった」って言いながら「次の日にはすっかり消え去ってる」感じではありませんか?

展開が速すぎるんでしょうね。なにもかも。ティーンエイジャーですらその速いリズムに追いついてないしね。だいたい追いついてないことすら知る由もないしね。
(なんだか知らないけど湧き上がってくる)モヤモヤを刺激や勢いで吹っ飛ばそうとしても結局心は晴れてないんじゃないかなぁ?

速いというのも素晴らしいのですが、ゆっくりというのもそれ以上にいいものです。ただ「速い」ほうに刺激はありますから、意識してないとどんどん速いほうに引っ張られていきます。

余韻・・・今一度気にしてみてください。きっと今より心が晴れますよ。


相変わらず「ええライブを観てくれ!」と言う気持ちに何の変化もございません。
が、ただ、年々「よくない、よくない」言うてる今の時代の流れは安易な“ウケル”の深追いが生み出した毒素みたいなもんでしょうに。

とにかくどこをみても(全部じゃないけど)バンドのライブに客がいない。客のバンドマン比率高すぎ。「お前のとこのライブ行くから俺んとこのライブ来て」「行かんと気まずい」みたいな。。。俺は“動員互助会制度”と呼んでます。

バンドが月に何本もライブしてると呼ばれるお客さんのほうもちょっとヒクわなぁ、「え~また~?」って。よっぽど好きでなかったら。金もないしね。そして、また困ったことにそれをバンドマンも分ってるから「呼ぶ」という行為にちょっとした嫌悪感があって余計に動員に消極的になっていく。なんなのそれ?

そもそも“アマチュアの活動”をこれだけ一般の人が金を出して応援して成り立ってきたコミュニティーなんて他にあるんか?いまさらそんなことも思いました。
みんなそこに甘んじたらから、この“ザマ”なのかもしれないと思うわけです。

誰でも音楽できる今だからこそ、実は「普通の人」の耳や目は厳しくなっていきます。

だけどね、間に合うからまだ言うよ。
いいもんつくろう、いいもん観よう。
そして、一緒になってこの先を楽しくしよ。


湯川トーベンさんが僕に向かってハッキリ言ってくれたから、今まで書けなかった一言をあえてここに書きます。

『死んでからでは遅いんだよ!』

いいもん観よ。そして受けて投げ返してキャッチボールしよ。


バンドマンために音楽があるわけではない。
音楽のためにバンドマンがあるわけです。

そしてあなたがが奏でる音楽が大切なあの人のために存在出来れば最高だと思うのですが、どうでしょう?

今、音楽はあなたの何ですか?

あきかんはリサイクルのためにあるのではない。


いまのバンドマンの行く末。

いろんな選択が出来て細かく新しい枝もいっぱい伸びてくる。
しかし、枝は細いし、実がならない。花が咲かないから種も生まれない。
それは根っこから栄養が上がってこないから。

「ノウハウ」や「マニュアル」のせいで、今はずいぶん営業を意識するバンドマンが増えた。だからその分だけ「ものづくり」できる職人肌のやつがものすごく減っちゃった。その数、過去と正反対か?

もちろん、今もそうじゃない若いバンドマンがいることは知ってる。ちゃんといる。

ただ相対的にそんな流れなのだ。

で、問題なのはそのことで若いやつらが楽しそうな顔しながら苦しまなくてもいいところで苦しんでること。それが一番辛い。

先人から学ぶべきだ。姿を音を。
どうやって何もないところからこの日本にロックを浸透させていったのか。

それがあって今がある。

そのことを知れば今の不必要な苦しみなんか簡単に脱することができるのです。

今の僕の仕事はそのためにあるんじゃないかなって思っています。答えはそこに見えているのに導けないふがいなさを感じながら。

ジャンルの壁などとうの昔に崩れ落ちています。
ただ地層のように別れた時代の壁はまだ厚く厚く残っています。それを打ち砕かねば、エネルギーは湧き上がってきません。
今こそ、縦の穴をぶち抜かねば。そこから養分を吸い上げるのです。
そして、茎を太くし、枝を強く張り、花を咲かせるのです。

未来は、そこから生まれてくると。


バランスが崩れているんよね、きっと。
心と体のバランス。
だからヘンな悩み方やからだの調子を崩したりする。日本全体ね。

たとえばバブル以降の音楽業界の仕事は、仕方が無いところもあるんだけど日銭に追われてきたように思います。日銭ばっかり追っかけてたばっかりにバランスを崩した。そう、バンドマンのみならずオーディエンスをも育ててこれなかったんだと。そして今、その現状に業界自身が振り回されているのかなぁって。

でもね、人の「カラダ」はそんなに変わってないと思うんです。いい音楽、いいグルーヴは、心臓の鼓動のようにきっと人の体に理屈ぬきで馴染むはずだと・・・。

生命としてね。


『ありがとうございます』

という言葉は、届きそうにないところにも心の中で言い続けるべきです。

苦悩を与えてくれたところにも。

悩みのない人に悟りはないそうです。悩んでないのに、苦しんでもないのに悟れるはずがないと。。。


若いときぁ、現実なんて見て見ぬ振りするもんさ。

逃げるわけじゃなく、知らんぷりして湧き出てくる力を推進力に換えるんだよ。そしたら現実にはあり得ないものが生まれてきたりするもんだ。

歴史の勉強も大切だけど、未来を作ることはもっと大切なんやわ。
その大切なもんを手にしたら、歴史を作ってきた人たちの大切さも身に染みてくるもんだと思うんやな。

俺の場合、一番力になってきたのは「音楽でなんか飯食えんぞ」「お前は夢食いのバクや」です。
現実に押しつぶされそうになったら、それより大きな夢見たらええんや。

大きな志を持ってやったことは、一生力になるで。

そんなふうに思いながら見ています。


今のままじゃまるで「キャンペーンハウス」やな。
そりゃ何回か来たらオモロなくなりますわ。

ここ、ほんな「ライブハウス」でっか?

ちゃんと「ライブ」できるようになっとかんとな。
これからはホンマの意味でライブがオモロなる時代がくるで。

*キャンペーン【campaign】
ある目的のもとに組織的に人々に働きかける活動。宣伝・啓蒙活動。


甘い部分はあるよ。「遊び」の程度ね。

一見危なっかしいが、もしガチガチに固めたら大事故になるわって。
ハンドルってそんなもんやと思ってる。
でも調整は大事。

ただ一つ、俺の調整した「遊び」で遊ぶなよ。


初めて動画で見た!やっぱ素晴らしい、このメドレー。
すごいよ、ロックバンドにしてこのコーラスワーク。そしてこの自由自在さ。
オルガンの歪みとレスリーの絶妙なセッティングはここが最高かも知れん。


なんとも言えぬ不思議な魅力を秘めた彼でした。
透き通るようなきれいなあの目。
この世界でやっていく音楽と正面から向き合って、戦って戦って戦い半ばでこのような日を迎えてしまったのは、ほんとうに無念だろうと・・・。

残された3人のメンバーが一番辛いでしょうし、なにか我々ができればと思います。 これからが大事。
あれだけの感動を歳の離れた我々世代にも与えてくれたんですからね。


そして、自分がこんな仕事をしていながらも、実は中学生になって初めて連れて行った「ライブ」というものに、戸惑いながらも自然に手拍子をしだした我が娘の姿がありました。父親としてすごくうれしくなったのを今でもよく覚えています。
それが彼らのライブだったのです。
親と子を初めて音楽でつないでくれた瞬間でした。


メリークリスマス。

こうやって今年も音楽できるだけで「まず」十分じゃないですか。

お金ない?それでいいじゃないですか。

自分がやりたいことできて、それを喜んでくれる人がいて。

音楽は自己表現だけじゃない。
みんなの思いを代弁してくれてる、ほかのものでは表せない特有の力がある。

そこに僕たちは直接触れられているだけで、今日も幸せじゃないかって思うわけです。


(追記)
安らかに。

合掌。



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