日々の出来事や感想を「たわごと」として言いっ放しで掲載。 古いものは「蔵出し三面記事」に移動もしくは多くはお蔵入り。 ライブの記事は「ライブのツボ」に移動して保存。

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「たまたま」じゃないって思うことがよくあります。

タイミングは「たまたま」やったかも知れませんが、あとで思えばそうなったことにはハッキリ理由が存在してるんですよね。理由が存在してる以上、「たまたま」じゃないんですよね。
特に「いいこと」に関しては、その理由を知ることがその人の人生に大きなものを与えてくれると思うんです。


偉そうかもしれませんが、「縁が(あるようで)ない人」を見かけます。
そういう人を追ってると、「縁」がないんじゃなくて、縁を遠ざけてるというのか、自分の都合が先にあって、めんどくさがってるって言うのか、ちょっとの努力や時間の調整でなんとかなるのにって思えることが多いように感じます。

「チャンスは掴むもの」なんていいますが掴んだ人から学ぶのは、それを掴む前に人に伝わる何かをしてしてるのだということです。たとえ無意識でも。
僕もしょっちゅう思います。「なんでかなぁ?」「なにがアカンのかなぁ?」って思うこと。
だから意識して(一般的には)めんどくさい(と言われる)ことをして、時間もつくりそこに費やしてみるのです。

自分の都合を他人に対して上手く説明して「免れる」ことを繰り返しててもなにも報われることは起きないと思うのです。

僕は、そんなふうに今、学んでいるように感じています。


つつましさが必要だと思わせてくれる人に何度も繰り返し会えるようにならんとあかん。
出来ないことは出来ないと言えるようにならんとあかん。
やりましょうと言える自分にならんとあかん。
一生懸命やらんとあかん。
挑戦し続けんとあかん。
進むためにうまく休まんとあかん。
初心を忘れたらあかん。

あかん自分になったらあかん。

経験を重ねて偉そうにするために生きてるんやない。
次やれること、やりたいことをやるために生きてる。
今自分が出来ることなんてまだまだしれてますからね。

やろうとしてる奴と話してたらそんなことを思いました。

日々精進。何かが生まれるとおもしろい。


すげぇプレッシャーだ。

日々思うんです。
先輩があんなに凄いことをやってのけている。
年下の奴があんなに頑張って事を起こしてる。
凄いじゃないか!

俺何やってるんやろ?なんて思うよ。
目をつぶって、耳をふさげは何も知らずに済む。
知らなけりゃ、このプレッシャーや緊張は無いに等しい。
だけどそれを見たくなるし聞きたくなるし、そこに行きたくなるのは、きっと「憧れ」や「目標」や「夢」みたいなものをむちゃくちゃ感じるからなんだろうな。

悔しいけど人生は楽しい。
出来るようになりたいことはまだまだある。出来るかどうかは、わからない。
俺に何が出来るかやってみよう。
いつもこわいけど。

すげぇプレッシャーだ。


「出来ない理由」なんていくらでもある。どんな時でも。
だってめんどくさそうやん?大変そうやん?どうなるかわからんやん?

それがFIX(固定)していくから「オトナニナルトオモンナイ」っ言うねんなぁ。
だったらFIXさせんかったらええねんなぁ。

経験は過去のデータ。予想も過去の分析から。過去のことや。
でも、未来はこれから作るんやわ。

さぁ、自らの感覚で動こう。不安な気持ちを紛らすために長いもんに巻かれてる場合ちゃいまっせ。何もせんかったらオモンナイオトナニナルで。



ずっと好きでいられるように続けようとすればずいぶんしんどいことにも出会っちゃうよ~。めんどくさいこと山盛りだよ~。
それを好きでいたい気持ちで乗り切っちゃうよ~。我慢よりも己に勝つ気持ちだよ~。少しでも前に進まなきゃ嫌いになっちゃうよ~。
きれいな水も流れずにそこに溜まってたらやがて腐っちゃうよ~。次へ流れんとねぇ~。
でも、音楽をたまに現実から逃げることにも使っちゃうよ~。本音だよ~。
一瞬忘れるのもいいことだよ~。もうひとりの自分が見えるんですねぇ~。
敏感と鈍感、どっちが好きですかぁ~?
僕はどっちも好きで~す。どっちも「使いたい」で~す。
イキそうになった時は、鈍感になりたいで~す。敏感にファインプレーに臨みたいで~す。
背負うの得意で~す。ようさん背負えるほうに憧れたからで~す。
でも背負える量に限界があることは馬鹿じゃないからわかってたんだよねぇ~。
でも、降ろし方や、何から降ろすかのチョイスのセンスがなかったから、今それを学んでま~す。

自分のことは、信じも疑いもしてま~す。何かひとつやるときどっちも考えてま~す。
自分じゃ自分のこと信じ切れないから、やったことの結果で判断してま~す。
出来高じゃないよ~。行きたかったところへ行けたかどうかだよ~。
たまには、自分をほめてあげてま~す。

悩んでるくらいだったら後悔したほうが断然ゴキゲンだよ~。
止まってたら腐っちゃうからねぇ~。

ぜ~んぶ、今日までのところで人から教わったことだよ~。
オリジナルは、これからだよ~。


間違ってないけど遅いんだ。

遅いがために
間違ってないのに
正解にならない。


「信じる」ということに間違いはない。
何を信じようが人は力が出るもんな。
でもやぁ、信じるもん間違えたら、行きたいところには行かれへんわけやわ。

自分の選んだ道から何を教えてもらってんの?
それとも誰かの言うとおり歩いてるだけなの?
もうちょっと見極めれるようになれや。
もう幾つやねん。

自分が納得できへんくらいの自信なんか捨てていったほうがええで。
いら立つねん。ホンマ心配やねん。
手招きはせえへんけど。


人には生きてきた時間の分だけ時間をかけて育ててきた「大切な根っこになるもん」が出来るんやろうな。
その心の表れを「頑固」っていうんじゃないんかなぁ?
頭を固くしてるわけじゃないんよ。大切なもんを守るひとつの防御なんよ。たぶん。
でも、若いやつらの本音を聞き出せるおやじでいたいねぇ。

新しく生まれてくるもんには、いつもいい感じで裏切られたいしなぁ。
黙ってるのは、キミらの本音をこそっと聞きたいからや。
話はそれから・・・イヤラシイやろ?(笑)


「タイプ」「性格」なんて、お前の言う通りお前は「そう」なんかも知れん。そないに簡単に変わるもんじゃないやろうし、もしかしたら一生そうなのかもしれんわなぁ。俺自身もそう思うわ。
でもな、タイプは変わらんでも「姿勢」は、変えれるはずや。
それさえも変えるつもりもなく「タイプ」として押し切るんか?

それじゃこの先もなんにも起きんわ。
ナンパにでも行って来い。


『プロは、難しいことをですね単純にするんですよ。アマチュアは簡単なのを難しくする・・・。』

ちょっとここにメモっときますわ。

でも、先に言葉じゃないんよね・・・そう思えるところまで自分がいけるかどうか。


『音を楽しむと書いて音楽』
『音が楽しむと書いて音楽』
『音で楽しむと書いて音楽』
『音と楽しむと書いて音楽』
『音も楽しむと書いて音楽』


先日、何年ぶりかにあるバンドのリーダーから俺の携帯に電話が入る。
「やれるだけやってきましたが、今度のライブで解散します。ぜひ観に来てほしいんです」って・・・。
また『最後に最後の電話』か。

バンドのスタートから数年前までジャックライオンで頑張ってたバンドがあった。
メンバーの都合でその先をあきらめ一度は解散しかけたんだけど、その後すぐに「いい話」が浮上し、なんとか活動できるカタチをねん出して市内を中心に活動。出会う人も増えて今日まできた。
俺は、ずっとネット上で追いかけてたつもりだったけどある日彼らを見失った。バンド名が変わりHPも引っ越していました。

で、最後に電話。最後の電話。

ほんとにやれるだけやってきたのか?
ほんとにみんなに聴いてほしくてバンドしてたのか?

なんでそんなふうに言うかって?

だって、俺は「あれから」の彼らの音を聴いていないし「あれから」の彼らの姿も見ていない。俺だけじゃない、あの頃あの場にいたみんながそう。
自分たちの「出発点」にさえ何も届いて来ないバンド活動を「やれるだけやった」「みんなに聴いてほしかった」って、なんで言い切れるんだろう。
結果が出せなかったひとつのわけは、最後になってから思い出した『最初』に大事なものを置き忘れていったからじゃないのかなぁ?
なぜ届けに来ない?

そんなもんか?音楽って。
そんなもんか?バンドって。
そんなもんか?人って。

ひがんでるんじゃないよ。
誰か!目の前で何度も起きているこの繰り返しの中から何か学びとってくれへんか?!あのバンドもこのバンドもまるでパターンのように同じニュアンスでこんなカタチの最後の日を迎えてしまう。

若いバンドマンたちがまるで口癖のように言う。「繋がりが大切」って。
俺は、この言葉の彼らの持つニュアンスに疑問を感じずにいられないのです。
出会う人が増えればその分だけやらなければならないことも増えるのです。
年賀状書きのようにね。



2007/12/7
この日GibsonからROBOT GUITARが生まれた。
ペグに「超小型サーボモーター」が内蔵され自動的にチューニングを行うらしい。しかもGotoh製のペグより軽量というから驚きだ。
サイトにやたらと詳しい説明や動画もある。見たけりゃ見るがよい。
気をつけなければならないのは、このギターを持ったからといってロックスターになれるわけではなく、まだ「チューニングが出来た」に過ぎないことだ。

次はJIM DUNLOPからROBOT PICKが生まれるのを楽しみに待ってみよう。


背負い込み上手は大人な証拠。背負ったものを上手に降ろせるのはもっと大人な証拠。
でもな、大人になろうとして無理して背負い込む必要ないんやで。どうせ何年か先、背負わんとあかんもんが出来るから今は何も背負わんで空けといて。
それが今キミがやらなあかんことや。キミはまだ若いねんから。
キミじゃなくて、もっと背負わんとあかん奴がいっぱいおるんやからな。
キミはそのあとで十分。




いろんなことを話したけど、これは言ってなかった。
本当は一番伝えたかったのは、これだと思う。
帰りの車のなかで整理して出た言葉。

『強がるな』

それなりに長く続けてきたし、経験もいっぱいしたからこそ、曲げたくない何かも出来てしまうと思う。それはそれでしょうがない。キミだけじゃないし、むしろそれで普通。そんな年齢でもある。
でももし今、キミがいい道を歩めていれば、強がる必要もなく、謙虚でいられるはずだった。

だからこそ強がるな。
難しいかも知れんけど、難しいことにチャレンジしてるからこそ、難しいこと言わしてもらうよ。


「あの店のあの人は、がんばってるよなぁ。応援してあげてほしいなぁ。」
そんなふうにその店に出てるバンドマンにいつも伝えてたんですが、
どうやら我々は「あの店のあの人」に向こうで悪口を言われてるらしいです。

ありゃりゃ。
でも、そのことはとても悲しいなって思うんです。

他にも聞こえてきますよ。
「いつまでもジャックライオンに出ててもなぁ・・・」とかね。
ジャックでずっとやってきたバンドがその箱に出演した途端
「キミら、もうジャックライオンに出る必要はないで。」
「あそこに出てて何になる?」
って言われるらしいですからね。

おりょりょ。
またそう言って何も関係ないこれからの若いバンドマンを巻き込むやりかたは「音楽を発信する事」とは到底かけ離れた話でしょ?
だから違うと思うな、そのやりかた。

「いい音楽を!」とか「No music!No Life!」とか巷では言うけど、
仕事とは言え自分のことばっかり考えててそこに「いい音楽」なんて生まれるか?!
今のことで必死で先のことなんかぜんぜん考えてる余裕ないんでしょう。
でも、しょうがないと思うわ。
だってライブハウスありすぎやし、うちもそのひとつやし。
それに反比例する以上に日本国中でお客さんは減ってるし。

実は、俺の中では、極端な話
『ライブハウスって一般の人には、すでになくてもいいものになってる』
って考えてるんよ。あくまで極端な話ね。

じゃぁライブハウスがどうしてそうなったかって?
それは時代の流れもあるけど、何よりライブハウスがバンドに頼りすぎた結果かなって思うな。
「バンド活動のためのライブハウス」が
「ライブハウス維持のためのバンド」になって、
もちろんそれが露骨になると関係は成り立たないし、それじゃイカンとも思うから一生懸命バンドのことも考える。
でも結局後付なんよ。

で、そうしてるうちにいつの間にかライブハウスにとって「バンド=お客さん」みたいになっちゃってるんよね。
だから本当に足を運んでくれるお客さんが「お客さん」に見えなくなってくるわけ。

これがライブハウスの現状で、そういう「接客」や「内容」になるわけでしょ?
簡単に言えば「お客さんとしてライブハウスに来ても楽しくない」ってこと。
もちろん全部がそうじゃないし、ジャックだってそういう世の流れに直面して、
わかっていても逆らえきれずに思うようにできないこともいっぱいある。
そこでうちの若いスタッフも理想と現実の狭間で苦しんでる局面もあったり。

また、「ジャックライオンは有名な人を呼んで『売名行為』にようなやり方をしてる」とも聞こえてきますよ。
ビッグネームに媚売ってるように思われてるようです。
だからそんな言われ方するんだと思うけど、馬鹿なこと言わんで欲しいね。
「あんたがた、来たんか?見たんか?」って言いたいところですね。

例えばこのあいだの金子マリさん。そりゃ俺にとっても、業界人にとっても大きな存在の人だと思うのですが、でもね、いつもジャックに来てる若いバンドマンに「金子マリ」って言ってもほとんどのヤツが知らんよ。それが現実で現状。
だいたいどこの箱でも「経費かかるから」ってこういう人のライブ、イベンターでもかんでなければ避けてるでしょ?リスク背負うの怖いからってね。
あと、呼んでなんかないしね。縁ですよ縁。自然な流れ。

でもね、この自然な流れから生まれるホンモノの音や空気は、絶対にみんなに喜んでもらえると思って自信を持って心を込めてやっていますし、今のライブシーンに一番必要なんよ、絶対!
実際には現状がこんなだからこそ苦しいこともいっぱいですが、ライブ後のお客さんの顔見てて、「やってよかった!」の連続でもあるからこそやり続けられるし、若いバンドマンたちへも今後いいバンドになるための最高の導きになるからこそやる気も出てくるんですよね。
マリさんも若いバンドマンをすごく大切にしてくれるしね。マリさんだけでなくみんなそう。

そんな素晴らしい人、そんな素晴らしい音があって、それをいろんな人に提供するチャンスや出会いのチャンスを作れるのがライブハウスの存在意義でしょ?
そして、そこに次の世代の素晴らしい音が生まれてきて、それを楽しむ次の世代のお客さんが足を運んでくれる。
ライブハウスとしてやれること、やるべきことをやってるだけです。


まぁとにかく、つまらん悪口なんか言わんでもええように、ほんまにええ音楽や素晴らしいエンターテイナーをステージに展開できるようライブハウス全部が頑張って、素晴らしいお客さんと出会えるようにせんとアカンのと違いますか?
そうじゃないと、「ライブハウスは要らんもん」への速度は、今以上に急加速していきまっせ。




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