日々の出来事や感想を「たわごと」として言いっ放しで掲載。 古いものは「蔵出し三面記事」に移動もしくは多くはお蔵入り。 ライブの記事は「ライブのツボ」に移動して保存。

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至極のお客さんと至極のエンターテイナー。
そこには、「特効薬」が分泌されます。



米米CLUB  再々感激祭 「ホントマツリ」編
~マエ編とアト編で忙しくて忘れてました~
10月 3日 (水) 大阪城ホール


に、米米CLUB リーダーのBonさんから夫婦でご招待いただきました。

ライブは、あの大きな会場でスタートと同時に湧き上がってくるとてつもなく大きな、そしてパワーに満ちあふれた一体感が俺の中に「感動という特効薬」をぶち込んでくれました。

正直、耳の調子が悪いのが原因で悔しくて辛くて。音楽のこと考えると悔し涙が出てきそうな状態なんだけど、この特効薬は効きそうです。
実際、すでに効いてる気がします。爆音自体は耳に良くないとは思うんですが、10日連続点滴してもほとんど効果出てないのに、昨夜のライブ後、冷静に判断しても逆に良くなってるように感じます。

このタイミングでこのライブに出くわしたこと。そこには何かがあるんでしょうね。そんな気がします。ほんとうにありがたいことです。

3時間にも及ぶライブ。途中短い休憩があったんですが、その時トイレでトランペッターのMITCHにバッタリ会ってお互いびっくり。
聞くと、MITCHは米米の金子さん(Key)のプロデュースでソロアルバムを制作中だとか。
そんな流れでライブ後は、Bonさん、金子さん、MITCH、俺という輪の出来上がり。コレもほんと縁やと思います。不思議なものです。
そして、その都度つくづく思うのです。やっぱり「人」やわって。
だからこそこうも思うんですよ。みんな来いって!集まって来いって!ここに集まってきて間違いないわ。
そしてエエもんつくったり、楽しんだりすればいい。
それだけでええねん。
そこに特効薬が分泌されるようになったら、世の中動くで。


「感動という特効薬」
これ、この先のキーワードになりそうです。



『形だけつくろっておけば、なんとかなるだろう。』
そんなつもりでなくても結局そんな生き方になってるから、ほら、音楽もそうなってるんよ。
キミの出す気持ちの伝わってこないその音・・・どんどんそうなる。
それは今まで何とかなってきたから。でも今それが通用しなくなってきた。
キミは気付いてないけどな。

だからどんどん苦しくなってきてる。まさに自業自得。

いったい音楽の何を見てるの?音楽から何を教えてもらったの?


<体験記を読むくらいのニュアンスで軽~く流してくださいね>

ほんと「音色」や「音程」、「音を発するモノ」によって全く違うんだけど、今日偶然ハッキリしたのは、電話の「ツー」って音は左の方が一音低い。それで試しにやってみたんだけどKey=Aの音叉だと右耳は普通にA(ラ)なんだけど左耳で聴くとG(ソ)に聴こえるのよ。
でもまぁ、全部の音や音程がそうなるわけじゃないからね。普通に聴こえるところもいっぱいあって、どこからどうなってんのか?理屈的にはなんかややこしいんよね。

音叉でのチェック。こりゃ、回復に向かっての目安にしやすいな。よっしゃ。

いろんな人から経験談や情報もらってます。ありがとう。意外と多いこの病気の人。
今日行った「とあるグッズ」のお店の人も偶然体験者で、「カイロプラクティック」も良いと聞きました。やってみるか。
で、買ったよ「とあるグッズ」。血流改善!コイツも頼りになるかな?
会話の中に英語が混じるほうの効果が先に出るかもわからんけど。(笑・以前の記事読んだ人しかわからんね)


「0」と「1」、「1」と「2」の差はどちらも「1」なんだけど
俺には「0」と「1」、「1」と「2」の差は、「0」と「1」のほうが大きいような気がしてなりません。
一つあるのと二つあるのの差の「1」より、
まったく無いのと一つあるのの差の「1」のほうがすごく大きくて魅力的に思えるんですけどどうでしょう?
まぁ、思いつきで書いてるんですけどね。


水曜日、朝起きた時にちょっときつい耳鳴りがあって、それはいつの間にかなくなったんだけど、その日の夕方買い物に行った時、ほら、店内のBGMが天井のスピーカから鳴ってるでしょ?それがね、チューニングがムチャクチャだったんよ。
「こんなひどいのって許されるの?」
程度の悪いBGMにそんなふうに思いながら帰ったわけ。
で、その日はそれくらいしか思わなかったんだけど、次の朝・・・。
翔君がホームページの日記で「チャゲ&アスカの昔の映像の演奏がひどい!」ってLINK貼ってたから見たわけですよ。そしたら演奏どころかその音のひどさに驚いたわけ。で、なんか「位相」もおかしく感じて・・・「ちょっと待てよ。こりゃ俺の耳がおかしいんじゃないか?!」って思ってTVをつけてみた。
「なんじゃこりゃ!!!」
へんな変調がかったような、金属的な、そうやなぁ昔のリングモジュレータをかけたような音が常に原音に混じって聴こえてくる。オマケに音楽は1オクターブ上の半音下が混じったようなチューニングのずれた音痴な音楽に聴こえるではないですか?!
気にしだすと、みんなの話す声も同じように変な耳に障る音が混じって聴こえる。特に高い音、ヌケル音はそれがひどい。その音のせいで耳も痛い。
気持ち悪いぞ!!!

で、今日病院の耳鼻科へ。
おそらく「突発性難聴」とのこと。原因不明の病気らしい。ネットでも調べまくってたから「やっぱり・・・」って感じでした。
すぐに病院にいったから今のところ「軽度」らしいが、しばらく薬での治療。音楽がまともな音で聴けない状況ですわ。

個人的な重い話は書きたくなかったんだけど、ひとつだけ言いたくなったんで書きました。

『ちゃんと音楽が聴けるって言うのは、幸せなことです!』

今、ヒゲおやじは自分の弾くピアノやオルガンの音程すら気持ち悪くて「無理無理!」って状態でございます。
もちろん店のBGMも。増してやライブの音は強烈!

鍵盤で自己診断すると、楽器に詳しい人ならわかるだろうけど「D4~F4(鍵盤の真ん中のレの1オクターブ上のレ~ファ)」が特に症状がひどいな。ピアノのソロの曲なんか笑っちゃうくらいデタラメな調律のピアノを弾いてるみたいに聴こえるぞ!

「治る」って思ってるから今は「ネタ」として書くことが出来ますが結末はいかに?!

いや~まいった。。。でも大丈夫や!


「技術は魂を乗せるお皿」・・・。

うまいこと言いはりますなぁ。さすがだと思うことがよくある、あの人。




2月のAMIGO’Sライブでゲストとしてステージに立っていただいたタブラ奏者 スニール・グルンさん。
スニールさんも重い病と闘っての命を懸けたステージでした。タブラはスニール氏が病と闘う原動力となっていたのです。実は余命宣告を受けていた日付はとっくの昔に過ぎていました。それでもあれだけパワフルな演奏をされていたのです。

先ほど大山大吾郎さんからお電話をいただきました。
スニール氏がお亡くなりになったと・・・。

ここに書くべきなのか迷いましたが、あのステージを観られた方に、いまこそもう一度スニール氏の姿とあのタブラの音を思い浮かべていただきたいと思い書くことにしました。



合掌



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【 Sunil Gurung 】プロフィール
幼少の頃から音楽の才能を認められ、13歳でプロ活動。
アンナプルナバンド、ナマステバンドでパーカッショニストとして活躍。
古典音楽に限らずワールドミュージック、ジャズ、ポップス、トランス…etc.様々なジャンルで新しい音楽作りに挑戦。
魅力あるパーカッショニストとして慕われ、現在 闘病生活を送りながら音楽活動に復帰を宣言する。


面白い人って、「こう来たら、こう出す」っていうような、引き出しとかパターンをいっぱい持ってますよね。
持ってるだけでなく、その取出しが早い早い。とてもリズミカルでスピーディーでタイムリー。そこには、その会話に対する「読み」もあったり、「誘導」や「フリ」もあったり。
ドキドキします。
俺も大阪にもう25年も住んでいますが、自分が大阪の人間にはなりきれないなぁって思う大きな要素がここにあります。俺なんか元々笑いは「ハプニング」や「偶然」でしかないくらいに思っていましたからねぇ。
幼少から普段の生活の中で培われたこの「テクニック」というか「習慣」は、大阪という土地に住んでいる人たちにとったら、いわば「当たり前」のようなことかもしれませんが、俺はその当たり前が「凄いなぁ」って思うんです。もし俺が「オモシロイ人」になりたかったら、きっと「それ」を取り込もうと必死になってたんだろうなってね。
もちろん、幼少からこの大阪に育った人でも、みんながみんなでなくて、それぞれにその上手さの差もあり、得意な人もいればそうでない人もいます。しかし、全国レベルで見ればそのアベレージの高さはやっぱり特筆ものだと思うのです。
それにみんな、「オモロイ?Yes/No」って事に関しては、ある種の哲学じみた「答え」をそれぞれの人が持ってるでしょ?これってえらい事ですよ。そこには純粋だとかそうでないとか、そんなへんな線引きもないし。「あれはやったらアカンでぇ」っていうルールというか基準も存在してるし・・・。そんな地域、他にありますか?!

で、この上手さ(オモシロさ)の違いのニュアンス。バンド(というか、音を出すこと)とそっくりじゃない?人を惹きつけるのは、「そこ」の上手さかな?なんて思います。使い方も含めてね。
よく「どうしたらよくなりますか?」ってバンドからの相談を受けたりしますが、こんな素晴らしい参考事例がこんな身近に、というかあなた自身が持っているということに気がついたらあっという間に光が見えてくるんじゃないのかなぁって思ってます。
偉大だよ、OSAKA文化!


音楽で何かを伝えようとする人(バンド)は、誰だってひとつくらい「心を開く鍵」を持ってるんだろう。
それが「ピタっ」っと合うと聴く人の心の中に音楽が「ド~~っ」っと入り込んでくる。そんな感じ。
聴く人もいろんな鍵穴持ってる人がいて、その数もひとつだけの人もいれば一人でいろんな扉や鍵穴もってる人もいる。
いろんな形や大きさの鍵や鍵穴があるんだろうな。

いいバンドって「こいつらいろんな鍵持ち過ぎや!」っていうくらい、いっぱい鍵持っててな。おかげでこっちはようさんあった心の扉全部開けられて完全にフルオープン状態よ。

音楽ってやぁ、「良いor悪いじゃなく好きor嫌い」って言うけど、「持ってる鍵の数の違い」かな?なんて思うよ。

若いバンドマンは、こういうバンドが持ってる数々の種類の鍵を見にくれば「面白くなる鍵」が見つけられるはずやわ。


結構みんな、バンドのカッコ良さは知ってやってるけど
バンドの面白さは知れずにやってる・・・。「知らず」じゃなくて「知れず」にね。


最近バンドやってて「病」になりかかってる奴いっぱいおるけど、音楽からバンドから元気や勇気や喜びを感じてバンドやりだしたくせに何やってんの?!

オモロないのにバンド活動にスガルな!
ちょっと距離置いて見てみ!一回本気で悩め!
ホンデそんなことでいちいち悩むな!
やっぱバンドは、音楽はオモロイもんやで!

病みかけた気持ちなんかぶっ飛ばしてくれる音があるはずや。それも意外なところにな。少なくとも俺はそうやったわ。
だから今も楽しめてる。いや今のほうがもっと楽しめるようになってきてる。それが俺なりの答えやわ。


継続は力なり。

とは言いますが、続けてきたことからくる「経験」や「自信」がプライドとなって曲げることの出来ない自分をつくってしまい、自分の成長を妨げることがあるようにも思います。

信じてやり続けたこと。決して「間違っている」ということはないでしょう。
ただ、曲げない自分がいるから壁にぶつかるということもあると思うんです。
壁に突進!ぶち当たっていくこともこれまた進むべき道なのかもしれませんが、そうしてるうちに壁に囲まれて進むべき道を見失うこともあると思うのです。もし上も下も囲まれてしまえば真っ暗でなにも見えなくなってしまいます。

信じてやってきた道。でもそこに自分の思う結果が得られず迷ってしまう時、自分がその道を歩き始めた最初の時のように、素直に周りを見渡しながら柔軟な選択をし直すべきでもあるんじゃないかなって、そんなふうに思います。

あきらめる前に出来ること。それは初心に帰って見直すこと。
それがほんとうに継続するためには必要なんじゃないかって・・・すごい勇気と決断が要りますが。
そう俺自身に問いかけてます。


時代は変わって、「レコーディング」や「音源発売」というものが、それはそれはとても身近になりました。
高校生でもちゃんとしたレコーディングをしてCD販売してますからね。

そこでちょっと思うことがあるんです。
バンドでも個人でも音楽はいつまでやっても発展途上なわけです。
それはみんなが思ってることだと思うんですが・・・

で、いざレコーディングしますよね。
つまり、メロディーやアレンジなんかが「形」として残るわけです。レコーディングした時に生まれたアレンジもあります。
それがね、レコーディングして半年くらいならわかるんですが、何年経ってもその「残してしまった形」に囚われている気がしてならないんです。

20歳くらいの時の「一年」って大きいじゃないですか?
やりたいことも多ければ、出来るようになることも多い。
なのに、いつまで経っても作ったCDの販促キャンペーンのように、ず~っと変わらないままのイントロからエンディング。
せいぜい2曲つないで間をちょっといじるくらいか、どっかをちょっといじったくらい。新曲がいっぱい上がってくるわけでもないし・・・。
各人がそれぞれに上手くなったりしてるのに、それに応じての変化が少な過ぎじゃないですか?

そりゃ、自分たちの「その時の思い」がいっぱい詰め込んでベストを尽くした形だから大切にしたい気持ちやこだわりはわかるんだけど・・・
もっと大胆に攻めてもいいんじゃないかって思ってしまうんです。

いま気に入ってくれてるファンをがっかりさせそうでこわいですか?
オリジナル曲を早くからやりすぎて、コピー不足からくるネタ切れですか?
変わっちゃったらCD売ることができなくて困るんですか?


「チャンス」ってやぁ、来るところにはちゃんと来てるんやわ。
でもなぁ、目に見えんもんやから見逃すんよね。
目の前まで来てるのに、みすみす逃してるシーンに出くわすもんなぁ。
で、今、目の前に見えてる方をチョイスしちまうんよね。
だって、見えないほう選ぶなんて、わけわからんし、怖いもんな。そっち行くの。
だけど、チャンスも結局、自分自身で作りだしてるんやねんけどな。
あとちょっとのところで、違う方見ちゃうんよね。おっしい!

そうやって若いヤツのところに来てる「チャンス」は、よう見えるようになったけど、自分のところに来てるチャンスは、俺も逃してるんよ、きっと。
それが先輩からは、よう見えてるんやろうなって・・・。
「あいつ、バカやなぁ」って言われてる。そんな風に思う。

まっ、若いときよりは、少しは見えるようになったとは思うけど。

チャンスがつかめるかどうかは「運」やないんやで。自分自身で作りだしてるもんなんやからな。

つかんだ人が言う言葉なんよ、「運がよかった」っていうのは・・・。


「最近のお子達」は、「ミーティング」するのが上手やねぇ。近年の学校教育の成果でしょうね。本人達にそんな自覚は皆無だと思うけど。

バンドを「学校のクラス」のように捉え、「曲作り担当」「宣伝担当」「ブッキング担当」などなど、しっかり役目役割を決める。

しっかりしてるよ。えらいもんだ!

ところがどっこい、「最近のお子達」は楽器持たないほうの会話が得意のご様子で、俺のイメージでは楽器持ってる時間より「ミーティング」と称される会話の時間の方が多いような気までするわけなのです。

で、そんなミーティングなかで、「あいつに俺は見下されてる」とか「俺の意見が通らない」とか不平不満が噴出すようです。
「学校ではみんなの意見を出し合って平等に決めていたのに・・・」みたいなもんでしょうか。

ここでいつも「おいてけぼり」になってることがあります。
それは「キミはバンドの音を構成するのに必要な奴なのか?」ということです。

スキル、キャラ、アイデアetc・・・いろんな要素があるとは思いますが、バンドはバンド内でも外でもプレーヤーとしての競争社会です。
「落ちこぼれ」の存在も当然です。
決して「みんな一緒」ではありません。大げさに言うと「バンドをやる権利」は平等に存在するでしょうが、そこから先は平等ではありません。それはバンドに限った話ではないのですがね。

誰だって「落ちこぼれ」にならないように「がんばる必要」があるのです。それはみんなが「そう」なのです。俺もそう。でも、好きやからこそ「がんばろう」と思わなくてもがんばっちゃうわけです。

「楽器持たない会話」も大いに結構なのですが「楽器で会話」しようとすることは、バンドであるからこそもっと大切なことじゃないのかねぇ。

どうやらみんな「有名になりたい」だけなのかもしれませんね。きっかけとしてはそれでいいのですが、手段として「バンド」を選んだ以上、乗り越えなければいけない事はありますし、やっている以上すぐにそれに当然ぶち当たるはずなんですがねぇ。

この間、ラジオで若手漫才師が言うてました。
「将来の夢」の話で・・・
「ゴールデンタイムのTVの司会すること」やって・・・。
そんで、ついでのようにこうも言うてました。「一流の漫才師を目指すのは当たり前としてね。」って。

わからんでもないけど、その「ついで感」に、なんかガッカリしたわ。「じゃぁやってみろや!」ってね。



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