日々の出来事や感想を「たわごと」として言いっ放しで掲載。 古いものは「蔵出し三面記事」に移動もしくは多くはお蔵入り。 ライブの記事は「ライブのツボ」に移動して保存。

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奥から出してきたもんは奥へ戻す。
でないと手前がどんどん狭くなって置き場が無くなり、すぐいっぱいいっぱいになる。
モノの話ですが、ココロも同じ。
だからすぐ「病む」とか言わなアカンようになるねんで。
奥に戻す。整理する。それだけで余裕~。


「たまたま」も運命を分ける。
上手くいく時はなぜか「たまたま」が起きる事が多い。
「たまたま出会った」「たまたま空いてた」「たまたま用意してた」「たまたまその場にいた」
「たまたま」は新たなラッキーを生みだす。

ただし「たまたま無理」はその逆。
そんな時僕は無理やりOKにしたものだ。笑


マニュアルも何もない自由な環境で
なぜアレもコレもしてやろうッて思えないのかが
不思議でたまらない。
周囲に自由にしてる人がいないのか?
「自由」って誰かに決めてもらえないと見えんのだろうね。
自由って何もしないのも自由だもんね。
「好きなことをやる」ってややこしい言葉だわな。



リスナー目線はそれはそれで持てるに越したこたぁないが、バンドマンはバンドマンなりの目と耳を持っててくれんとこまんにゃわ。
日頃キミらがお笑い解析してるくらいのレベルでロック解析してちょうだい。
そしたら僕はキミらのロックで笑えるという幸せに包まれる。


せ~ので合わせてまぁまぁ合ってたらバンド?
じゃないから。
わかりやすく言うと漫才とかもそうでしょ?
独自のノリがあるの、コンビやグループって。

すべてはそのための練習。
ボケやツッコミもあるの。


種を植えることより、まず田を耕して土を肥やすこと。
でも、その土地に合った種を植えんと実らんしな。


僕にはステージでの演奏(合奏)は「会話」に聞こえてしまってるから人の話聞かずにひとりで喋ってる人とか、自分のことばかり喋ってるひとの演奏はなんとなくさみしい気持ちになるんやわ。


「ひとりでも多くの」っちゅうのは、感謝すべき1回1回のチャンスにどれだけの人に届けることが出来るかっちゅうことやろ?
与えられた幸せなチャンスを活かすも殺すもほんとに心から「ひとりでも多くの」って思てるかどうかの熱の違いや。
関係してる人間は大切に劇的に生きようや。
自分はもちろん。


それ何ですか?が、なんでで〜へん?

言うてる方も聞いてる方も意味が曖昧なままスルー。
「突っ込まれんでよかった」と「突っ込むほど知識ないし」の
微妙なキャッチボールが見えない球で同時進行〜。
音楽のことなのに。
しかも、そのあと調べることもしないのね。
こういう時こそ。。。


どんなライブでも出演するからには一所懸命告知も声がけもして、集まってくれたお客さんに喜んでもらえるライブを手作りで完成させるのがインディーズのスピリッツ。

大して何もせずに、集まってくれた人の前だけで「1人でも多くの・・・云々」ってMCするのが純粋とは思わない。

純粋は前述。


ロックやってる奴が多数決気にしててどうする!?
答えをなぞるような活動なんてそもそもアーティストじゃないやろ?
まぁどこからがアーティストなんかわからんくらいあやふやな言葉になってるけどね。
ギター買って帰ったらアーティストなんかね?

そもそも、僕はバンドをやり始めた高校生の頃、音楽で何かを伝えたいなんて思ったこともなかったし、伝えるものだとも思ってなかった。
ただ大好きになった曲があって単に楽器を弾いてバンドがしたかっただけ。
それだけですべてが埋め尽くされていた。



なんでも自分でやってみたいし納得したい性分だから、この数年だけでも随分知らなかったことを知れたし、出来なかったことができるようになったわ。
好奇心を動かすエンジンは燃料切れしないもんなんだろうね。
生きてる限り古いデータの書き換えも必要だし。
で、だからこそ素直にわからないことはわからないって言えるようになる。


思いがあるなら配慮が出来るはず。
配慮が少ないのは思いが足らないのでしょう。
配慮がないのは思いのないのと同じ。


難しいものを見て勉強しろなんて微塵も思ってなくて、難しく見るのをやめようって言ってるんよ。
そしたら、どういうつもりでどういう音出したらいいのかわかってくるんよ。いい音聴きながらだとそれがわかるんよ。
そう、人に本当に伝わる音ね。
それと、あなた方の積み重ねてきたノウハウを融合したすごいやん!?






同じことを続けてたり
同じものを続けてたり

ほんとにそれでいいのか?
「自分のやってることを毎日少しは疑ってみること」が続けるということだと僕は思ってる



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