「最近のお子達」は、「ミーティング」するのが上手やねぇ。近年の学校教育の成果でしょうね。本人達にそんな自覚は皆無だと思うけど。
バンドを「学校のクラス」のように捉え、「曲作り担当」「宣伝担当」「ブッキング担当」などなど、しっかり役目役割を決める。
しっかりしてるよ。えらいもんだ!
ところがどっこい、「最近のお子達」は楽器持たないほうの会話が得意のご様子で、俺のイメージでは楽器持ってる時間より「ミーティング」と称される会話の時間の方が多いような気までするわけなのです。
で、そんなミーティングなかで、「あいつに俺は見下されてる」とか「俺の意見が通らない」とか不平不満が噴出すようです。
「学校ではみんなの意見を出し合って平等に決めていたのに・・・」みたいなもんでしょうか。
ここでいつも「おいてけぼり」になってることがあります。
それは「キミはバンドの音を構成するのに必要な奴なのか?」ということです。
スキル、キャラ、アイデアetc・・・いろんな要素があるとは思いますが、バンドはバンド内でも外でもプレーヤーとしての競争社会です。
「落ちこぼれ」の存在も当然です。
決して「みんな一緒」ではありません。大げさに言うと「バンドをやる権利」は平等に存在するでしょうが、そこから先は平等ではありません。それはバンドに限った話ではないのですがね。
誰だって「落ちこぼれ」にならないように「がんばる必要」があるのです。それはみんなが「そう」なのです。俺もそう。でも、好きやからこそ「がんばろう」と思わなくてもがんばっちゃうわけです。
「楽器持たない会話」も大いに結構なのですが「楽器で会話」しようとすることは、バンドであるからこそもっと大切なことじゃないのかねぇ。
どうやらみんな「有名になりたい」だけなのかもしれませんね。きっかけとしてはそれでいいのですが、手段として「バンド」を選んだ以上、乗り越えなければいけない事はありますし、やっている以上すぐにそれに当然ぶち当たるはずなんですがねぇ。
この間、ラジオで若手漫才師が言うてました。
「将来の夢」の話で・・・
「ゴールデンタイムのTVの司会すること」やって・・・。
そんで、ついでのようにこうも言うてました。「一流の漫才師を目指すのは当たり前としてね。」って。
わからんでもないけど、その「ついで感」に、なんかガッカリしたわ。「じゃぁやってみろや!」ってね。