故郷の「丹後」から遂に橋野さんが来てくれた。
病気をしてから半身が不自由でなかなか来る事が出来なかったこともあるのだが今日のこの日をどれだけ待ったことか・・・。
俺が今こうしてライブハウスをしているのも、もっと言えば音楽しているのも、楽器弾いているのもすべてはこの人のおかげ。いやこの人の「せい」!?
きっかけはすべてこの橋野さんだ。
橋野さんは「姫野アキラ」ちゃんのお父さんでもある。
田舎町に出来た一軒のロックのある楽器屋「あんだんて」が何もない町にどれだけロックを注入したか!バンドもスタジオもまともなライブハウスも無いあの町に・・・。
ギタリストはチョーキング・ビブラートにこだわった。
なぜだったのだろう?みんなが黙って競い合っていた。盗みあっていた。
「突然」そんなへんな町にしたのが橋野さんだ。
高校3年の時のあるライブが終わってから少しして橋野さんが手書きの新聞のようなものを作った。
そこにはそのライブのレポートがあった。その中に俺の事がちょっとだけ書いてあった。もちろんそのライブに出た全員がレポートされていたのだが俺について「真柴のキレのあるオルガン」とただそれだけ書いてあった。
たったそれだけなのだけど俺にとってはその12文字がいまだに「喜び」であり「プレッシャー」であり「原動力」なのだ。
橋野さんは厳しい訳でもなければ怖いわけでもない。いつも「Take it easy」である。
でも、いや、だからこそ音楽に対する感覚が凄い。そしてパワフルである。いまもそれは健在であった。
今日は何年かぶりに2人で「これから」をいっぱい話した。夢は尽きない。まだまだやりたい事がいっぱい出てくるのだ。
橋野さんももう58歳。俺42歳。がっちりスクラムスクラム組んで新しいワールド作って行こう。
今日はそのスタートだ。
そんな素敵な、そしてこれからにとってとても大切な日になりそうな一日でした。
2005.5.7